こんにちは、はなです。
前回から引き続き、夫と、私の祖父母の暮らす鹿児島に行ってきたので感想を書いていきます。
今日は知覧について。
美味しいお茶や武家屋敷、第二次世界大戦末期の特攻を思い出す方も多いのではないでしょうか。
旅行を計画中の方もぜひご覧ください!
※前回までの旅行の様子はこちらから。
鹿児島旅行の感想①〜西郷さん好きの祖父と一緒に〜 - まいにちらぼ
11:47 指宿→知覧
知覧まではバスで向かいました。
乗り場は前回の記事に書いた砂むし会館の目の前(指宿駅も通ります)。
本数はかなり限られているのでご注意を!下記サイトの指宿喜入知覧線です。
そして今回は知覧特攻平和会館に行きたいので、特攻観音入口でおります。
のったりおりたりマイプラン(指宿・知覧) | いわさきコーポレーション
会館が近づくと、灯籠がたくさん見えてきて、この街だからこその悲しい歴史を感じずにはいられませんでした。
地元の方や遺族の方、著名人の寄付で、昭和末期から建てられ始め、今では特攻で亡くなった方の数以上の灯籠(1290基)が立っているそうです。
ところが、我々は降車場所を間違えてしまい、1つ先(知覧)まで行ってしまいました。バス停の目の前には富屋食堂があり、私たちは時間の都合で行けませんでしたが、平和会館と合わせて行ければよかったなあと思っています。
富屋食堂は当時、軍の指定食堂として多くの特攻兵が食事をとった場所で、女将さんの鳥濱トメはお母さん代わりとなって、親身に相談に乗るなど大変特攻兵たちから慕われていたそうです。今は資料館として公開されており、検閲の通っていない手紙(遺書)なども展示されているそうです。
昼食@吹上庵
鹿児島のそば・うどんチェーンといえば吹上庵。安くて、量が多くて、美味しい。
食べ放題の桜島大根もとっても美味しくて、ついつい食べ過ぎてしまいます!
知覧特攻平和会館
そして本日の目的地、知覧特攻平和会館につきました(バスの本数は限られているので、タクシーで戻りました)。
館内は基本撮影NGだったので写真はありませんが、特攻で亡くなった一人ひとりの写真と手紙、所持していたものがずらっと大きな部屋中に展示されていました。
中には愛する妻への手紙もあり、そこには「自分なんて忘れて未来を生きなさい」という言葉もありつつ、後半には「ただただ会いたい」という素直な心も書かれていて、本当に読んでいて辛かったです。
特攻作戦でなくなった1,036名のうち、約半数の402名が知覧から出撃したそうです。
また戦争を体験した方が特攻や戦争について語る会というのが1日に数回行われており、それに参加することができました。やはり実際に体験された方の生の声というのは、どんな展示よりも胸に訴えるものがありました。「1日1日を精一杯楽しく生きてください」というお話を最後にされていましたが、この言葉を忘れずにいようと思いました。広い館内を見た後にお話を聞くのも、先に予習のような形でお話を聞くのもありだと思います。
知覧→鹿児島中央駅
夕方のバスで帰りました。バス停は平和会館からは歩いて10分程度でした。
まとめ
指宿旅行の帰りということもあり、知覧ではあまりあちこち行かずに体力温存の旅となってしまいました。次は富屋食堂や武家屋敷にも行きたいです。
ちなみにこの日の夜は、祖父母から戦争時の話を聞くことができました。あと1秒防空壕に逃げ込むのが遅ければ死んでいたかもしれない話、祖父は(国ではなく)自分の名誉のために軍人に憧れていた話、とても貴重な話が聞けました。
次回はラストとして、鹿児島中央駅周辺の歴史スポットをいくつかご紹介して、この鹿児島シリーズを終えようと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。