まいにちらぼ

〜私の日常〜

正欲を読んで考えたこと(思いっきりネタばれ)

こんにちは、はなです。今日は朝井リョウさんの正欲を読んだ感想です。自分の中だけでは咀嚼できなくて、同じ本を読んだ友だちと語り合ったり、ネットの感想を読んだりしながら、だんだん思考を整理しました。

読んでみた感想

最初は正直読み進めにくかったです。というのも一人一人の詳しい紹介がないまま、いろんな人物が出てきて頭がごちゃごちゃするからです。でも読み進めていくうちに、人物関係が見えてきたり、自分と年が近いような人が出てきたりして、気づけば物語に入り込んでいました。

以下ネタバレ感想です!

多数派と少数派

私は漠然と自分は多数派側の人間だなんて思っていましたが、小さなことで言えばここには書きたくないような、これ少数派だろうな!って思う事柄がいくつかあります(笑) 

だからこそ、水フェチの皆さんが言ってる「どうせ話しても理解されない」「自分でもそんな自分が気持ち悪いと思っている、分かってもらいたいとも思っていない」「それなのに少数派には説明責任がある」、、、という感覚もわかります。人は多数派の部分も持っていれば、少数派の部分も持っている。それなのに、ついついすべてにおいて多数派に立とうとするし、それが正解だと思ってしまう。そんな矛盾に気づくことができました。

多様性の時代において、啓喜がこんなぼやきをしていました。

「誰も正解を教えてくれないし、何を選んでも間違いだと言われてしまう気がする」

この文章とても共感して読みました。全員同じプロセスとゴールが与えられる学生時代と違い、社会に出ると自分で選んで決めることが増えました。私は正解は何だろう?と考えがちでしたが、この本を読んで正解を探すよりも、自分が選びたいと思うものを素直に選べばいいのかと腑に落ちました。「そんなの当り前じゃないか」と言われてしまいそうですが、小説を読んで遠回りしながら自分で再発見できたことに意味がありました。そのために法律という最後の砦がある気がします。

対話と会話

夏月は「家族とは会話はできるが対話はできない、佐々木とは会話は成立しなくても対話できる」というようなことを言っていました。ここでいう会話とは言葉のラリー、対話とは言語化されているかに関わらず、心と心で気持ちが通じ合っていることをさしているのかなと解釈しました。夏月と佐々木は水フェチという共通の秘密がありお互いの心がつながりますが、物語のクライマックスでは別の悩みを抱える八重子と大也の心がつながりかけました。私はこれこそが、誰しもが生きやすい世の中の縮図なのかなと思いましたが、皆さんはどう思いましたか。同じ悩みを持つ者同士がつながるというのはSNS等を通じてかなり進んでいると思いますが、これでは小さな塊がたくさんできるにとどまります。ある意味で居酒屋で共通の不安を慰めあっているのと同じかもしれません。でも八重子と大也は「この世にいてはいけない人なんていない」という根幹の部分でつながろうとしていました。みんながこの考えを持ったら、、、なんて書きそうになりましたが、危ない危ない(笑)

多様性の押し売りをするところでした。結局のところ、どの切り口で人とつながるかはその人次第なんだと思います。たまたま八重子と大也はそうだっただけで。

どうして人は生きるの?

どなたかがネットに書いていたのですが、この本は正欲(正しい欲・間違った欲なんてない)についてだけでなく、性欲や生欲についても言及しています。生きる意味を見出せなかった佐々木や夏月が、パーティーのおかげで後半は生きる力を少しずつ得ているのがその証拠です。私はこれまで自殺の仕方を調べたこともないけれど、だからと言ってなんのために生きているのか?と問われても明確には答えられませんでした。しいて言うなら、「それが多数派のすることだから」という感じでしょうか(笑)でもこの本を読んで難しく考えすぎる必要はないなと思いました。単純に「明日もおいしいご飯が食べたいから」「週末のお出かけが楽しみだから」「また●●に会いたいから」「もっと成長した自分に会いたいから」これでいいんだなと思いました。一瞬一瞬をもっともっと全力で楽しんで生きよう!だって私の人生だから。

そんな青臭い言葉でこの今日のブログを締めます(笑)

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今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。